山下湘南夢クリニック 山下直樹院長先生インタビュー

今回は、神奈川県藤沢市で開業されている「山下湘南夢クリニック」の山下院長にお話を伺いました。

非常に穏やかな語り口ながら、ご自身が納得した治療を目指して患者さんと接する姿は素晴らしく、遠くからでも通いたいという方が多くいらっしゃることも頷けます。また、日本赤十字社でカンボジアへの派遣経験もあり、常にグローバルな視点で物事をみていらっしゃいます。

山下先生ならではのお考えが表れる、貴重なインタビューとなりました。

それでは、気になる内容をどうぞ。

 

先生がドクターになられたきっかけを教えてください。

子供の頃から、人に感動してもらえる仕事につきたいと考えていました。

私は、歌唱力のある歌手の歌を聞くと琴線に触れるというかその声が心に浸みわたってきて、辛い時でも乗り越えれるような気になります。自分にもそういった素質があれば良かったのですが、残念ながら歌の才能はありませんでした。

それで、歌でだめなら音楽でと思い、クラシックギターやチェロなどと格闘し、何かに傷ついた人がいたら、その心を癒せる弾き手になりたいと思っていましたが、これもアマチュアの域を超えられませんでした。

人を悲しみで涙させることはた易いことですが、嬉しくて涙を流してもらうことはそうできるものではないですよね。

自分が病気になったとき健康のありがたさを痛感しますので、そういう仕事で人に喜んでもらえたらというのが、医者を選んだ原点ですね。

 

しかし、実際に医学部へ入るのは難しいですよね。

確かに難しいですが、目標が明確であればその実現に向かって頑張ることができます。ただ成績がいいから、医学部にいこうというのでは大学に入ってから合コンに明け暮れることになるかもしれませんね。

医学部を卒業し、はじめの数年間は整形外科の大学院に入り病理学教室でリウマチの基礎研究をさせていただいたのですが、最終的に生殖医療を選んだのは、この世の中で一番深い感情、強い絆というのは何かといったら、これは親が子を想う気持ちでそんな感情に携わっていたいと思ったからです。親にとって子供というのは、本当にかけがえのない、他の何物とも比べることができない特別な存在ですよね。そんな人間の根源的な感情に関わっていきたいと思ったからです。

まあ、逆に子が親を想う気持ちというのは、意外と希薄で、その意味では思いが一方通行の親子関係もままありますけれどもね。

お子さんができなくて人には言えぬ苦しみの中にいる方が、不妊治療の末に子供さんを授かると涙を流して喜んでくれます。そんなとき、ああこれが自分が探してきた道だなと実感しますね。

そんな瞬間があるから、辛いことはたくさんありますが、生殖医療にずっと携わっていきたいと思います。

4階の待合ロビーになります。

先生の理念と通じるところもあるのでしょうか。

私は、他の真似をするのが嫌いなのですが、今の日本の医学はレベルが高いといいながらも、独自の発想やオリジナリティがあまりないと感じています。ささやかなことでもいいのですが、自分で考え、開発したもので、患者さんの役に立てればそんな嬉しいことはないという気持ちが強いですね。

ひとつのクリニックでできることは限られていますがやり方がないわけではありません。

患者さんの声に耳を傾けること。そうすると、患者さんのニーズ、つまり今何が求められているのかが自ずとわかってきます。

その問題を解決するアイデアを出し、医学の分野に限らずその道で技術力やノウハウを持っている企業や研究所とタイアップする。今の時代、アイデアが良ければ協力を名乗り出てくれる企業を探し出すことはそう難しくはありません。

私は企業の財産というのは間違いなく優秀なスタッフだと考えているので、彼らに独創的なアイデアがあり、その夢を実現しようとする情熱があるならどんなにコストがかかっても惜しくはないですね。それを上手くサポートするのが私の仕事だと思っています。

 

ご出身は金沢ですが、東京に出てこられたきっかけを教えてください。

金沢ではお産も手術も盛んな病院に勤務していましたので、たくさんの分娩や婦人科手術を経験させてもらいました。また、日本赤十字社の国際医療協力事業で内戦終結後間もないカンボジアへ行き、荒廃した医療を復興する仕事に従事させてもらいました。劣悪な環境の中で現地スタッフと協力して仕事ができたという経験が今でも私の貴重な財産になっています。

帰国後、痛感したのは日本の社会はとても豊かだけれども、とても甘やかされた社会だということです。なんでも当たり前な社会なんですね。お産はどんな難産でも上手くいくのが当たり前、少しでも問題が起これば、すべて医療側に責任があるという状況でした。

私は人に喜んでもらいたい、そのためなら骨身を削って仕事してもかまわない思っていても、すべてが当たり前の世界は、自分の求めているものではないと感じさせられることがよくありました。

ちょうどその頃、生殖医療がだんだんと注目されてきている時期に差し掛かっていました。そこで、私は病院の退職金を家族に渡し、これで一年間だけ生活してもらって、その間に、オーストラリアへIVFの研修に行こうと考えていました。そして、その前に、少しでも基礎知識を得ようと日本の体外受精で有名な病院をいくつか手紙を出して見学させてもらったのですが、その時「そのうちのひとつのクリニックでオーストラリアへ行かないでうちで勉強したらどうだ」と声をかけられたのが東京に来るきっかけとなったわけです。

人生というのは不思議なものですよね。その一言がなければ、また違った人生が待っていたわけですから。

 

東京もそうですが、クリニックがある湘南も地縁のない場所になりますよね。

日本最大の不妊治療専門のクリニックに丁度10年間勤務して、自分の考える理想の不妊治療を実現したいという思いが強くなり独立を考えたわけです。しかし、当時日本全国に体外受精をやっている施設が600施設以上あり過当競争の時代でした。そのような状況でカネもコネもスタッフさえも全くいないという所からの出発でしたので、慎重にいろいろな資料を検討し、最終的に選んだのが藤沢だったのです。

今は東京一極集中の時代で、医療の分野でも同じ傾向があります。地方にいて少しうまくいくと次は東京に分院を作る、東京に進出するという流れがあります。そんな中で東京から少し離れた湘南の地で仕事をするというのは時流を冷静につかむという点では利点があるのかもしれないなと思うことがあります。

組織や企業というのは、ある程度の大きさがないと、何を言ってもどんな情報を発信しても誰も耳を傾けてくれません。ですが、あまり大きくなりすぎると自分の考え方が職員全体に伝わらなくなってしまうので、職員数も40人くらいまでかなと思っています。そして、各職員が自由闊達にそれぞれの才能を十分に発揮できる職場を作りたいと考えています。

例えば、車でいうとトヨタやフォルクスワーゲンのような大企業ではなく、自分達の哲学が会社全体に行きわたり、そのポリシーが製品に表れているボルボやBMWといった企業のようにしていきたいと考えています。ですから、大きさだけを追求したくはないですね。

先生がカンボジアに行かれていた当時は、今よりももっと医療的には大変な時だったと思うのですが、どうしてそちらへ行こうと思われたのですか?

私は単に、そういうのが好きだからです。

自分の知らない世界、未知の世界へ行ったらいろんな経験ができて、自分の中に新しい引き出しをたくさん作ることができて、一回り大きな人間になれるのではないか、新しい自分に会えるのではないかという期待があるからです。

当時、娘は3歳でしたので、親戚からはなんでそんな危ないところへ行くんだと言われましたね。内戦が終わったばかりで、夜には街中でも時々銃声が聞こえましたし、郊外にはまだ地雷が埋まっていると言われていましたから。

インフラも回復しておらず、夜の明かりは懐中電灯だけ、点滴はなしという中で出血が止まらない妊婦さんのお腹を暗闇の中で何時間も圧迫し続けたこともありました。一晩で20件を超えるお産があるなど日本では経験できないことばかりでしたし、何もなくても、工夫して問題を解決することを学ばさせてもらいました。だから、本当に行ってよかったと思います。

支援に行く人は、支援してやるという意識の人も多いですが、私はいろんなことを勉強させてもらいましたので、現地の人にはすごく感謝しています。今でも現地のスタッフから時々メールが届きますし私にとっては、人生の中の宝物のような時間でしたね。

今年から、シリア、エチオピア、ラオスなど世界各地の子供10人をワールドビジョンの活動を通して彼らの夢を実現する支援していくことにしました。人数は少ないですが、十年以上の長い時間継続して、その子達が希望の道を歩いていけるように支援できればいいかなと思っています。

 

こちらのクリニックで、こだわっていることがあればお聞かせください。

こだわっている部分は、まずは無駄を省くこと。そして、必要以上に医療的に介入しないということですね。

老人病院に行って患者さんを観察していると本当によくわかるのですが、自分の口で食事を摂っている人はみんな元気です。それが、何かの具合で点滴を始めると、つまり必要な栄養素を血管から直接注入し始めると、あっという間にいわゆる病人になってしまします。その変化は驚くほどです。このことが物語っているのは、足りないものがあればそれを足して補っていくという帳尻合わせの治療から病人は生まれても、健康は生まれないということだと思います。

今は、いろんなサプリメントが販売され、子供も大人も妊婦も老人も薬漬けという社会ですが、人間がどんどん弱くなっていくような気がします。

医療は必要以上に介入せず、患者さんの持っている生命力をフルに活用できるよう必要最低限に介入するのが一番だと考えています。そうすることでコストも時間もすべての無駄を省くことができます。

無駄を削ぎ落とした真髄の治療を行いたいというのが私の夢であり、こだわりです。

 

患者さんは声の大きい人のところに集まるという傾向があるので、そういう意味では、難しい部分もあるのではないでしょうか。

そうですね。よく、先生のところは宣伝などメディア活動に積極的でないですね。とよく言われますね。

少しでも新しいことをすると、基礎的な検証がしっかりとできていなくても患者さんにその方法を試して、日本で初めてこんな治療をしたとマスコミをつかって報道する、そんなやり方も時々見受けられますね。なりふり構わずイケイケどんどんで大きくなっていくというやり方はビッグになったり、カリスマになったりするには必要な天性なのかもしれませんが、私は残念ながら持ち合わせていないので、コツコツと自分の道をいくという感じですね。

 

今後のビジョンとして、患者さんを出来るだけ高い確率で、介入を出来るだけせずに妊娠率をあげていくということが、重要になりますか?

もちろん、それがないと患者さんは来てくれないわけですよね。結果を出さずに口だけで言っていても、そんなに甘い世界ではないので。でも、常にまっとうな努力をし続けていれば、結果は必ずついてくると信じています。

もうひとつお話ししたいのは、“結果が良ければすべて良し”というのがこの世の中ですが、そして、不妊治療はそれがとてもはっきりと表れる分野ですが、私の目指すのは、たとえ結果は出なくても当院に来てよかった、納得した。と言ってもらえるような施設を作ることです。

患者さんからも、上手くいかなかったけれども当院で治療できてよかったという手紙をいただくことがありますが、これは医者冥利に尽きるというか、少し涙腺が緩むほど嬉しいことですよね。と同時に、その方の期待に応えられなかった口惜しさを次のステップへのバネにしようと強く思います。

 

院内でのチーム医療を上手く機能していくために、何かしていらっしゃることはありますか?

人間は誰しも気が合う、気が合わないがありますよね。

そして、たとえある人が同じことを言ってもその人と気の合う人は好意的にとるし、その人を嫌いな人は何を言っても通じないものだと思います。だから、まずは人を嫌わない人、そして、たとえ嫌ったとしてもプロフェッショナルとしてそんな人にも耳を傾ける度量を持った人を採用時に重視しています。

組織はジグゾーパズルみたいだとよく思います。飛び出ているピースもあれば凹んでいるピースもありひとつとして同じ形はない。そんなピースをどうやって組み合わせていくか、そして全体として綺麗で強力な形に仕上げるかがトップの一番大切な仕事だと思います。

 

<まとめ>

患者さんに寄り添い、他では真似できないような医療を提供していくという先生のお考えがクリニック全体にもしっかりと伝わっていることが非常によく感じられたインタビューとなりました。

また、本当に人を財産だと考えていらっしゃって、それぞれの持ち味や意志を尊重しながらマネジメントされていらっしゃる様子は、大変勉強になりました。

診療の合間のお忙しい中、取材を受けていただいた山下先生にこの場を借りて厚く御礼申し上げます。

 

●関連サイト

山下湘南夢クリニック

http://www.ysyc-yumeclinic.com

 

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