徐クリニック ARTセンター 徐東舜院長先生インタビュー
今回は、兵庫県西宮市で開業されている「徐クリニック ARTセンター」の徐先生にお話を伺いました。
こちらのクリニックでは、患者さんを大切にし、一般不妊治療から高度生殖医療まで幅広い治療を丁寧にされていらっしゃいます。
加えて、工学部から大阪大学の医学部へ進まれたという異色のご経歴をお持ちの徐先生は、他ではみられない人間的魅力に溢れています。今回も非常に興味深いインタビューとなりました。それでは、どうぞ!
●小さい頃から医師を目指していたのでしょうか。
福井大学の工学部を経て大阪大学の医学部へ進学したのですが、当時は医学部にいくという発想が全くなかったのが本当のところです。
幼少のころの私の周囲(在日社会)では、いわゆるホワイトカラーの人は存在せず、全員ブルーカラー層の人たちでした。周りに大学に進学する人はいなかったので、医学部おろか、大学進学も考えていませんでした。
私自身は理数科の高校に進みました。その高校では、ほとんどの人が大学進学しており、大学進学すればしばらく仕事(ブルーカラー的な)をせずにいられるのではと言う安易な考えで、大学進学(工学部)しました。
●そこから大阪大学医学部へ進学されたのは、どうしてでしょうか。
大学生活では仕送りをほとんどもらっていなかったので、主にアルバイトで生計を立てていましたが、夜な夜な、良く遊んで過ごしていました。
4年生になって、何となくどこかには就職(もちろんホワイトカラー的な仕事)できると考えていましたが、現実はそう簡単ではありませんでした。会社案内なども私1人のみ来ず、予想はしていましたが、改めて現実の厳しさを知ることになりました。そのような状況の時に、指導教官から緊急避難的に
大学院への進学を勧められ、そのまま大学院へいくことにしました。
そんな気持ちで大学院へ進んだので、特に何かしたいこと言う事もなかったですね。大学院卒業後の未来への展望もなく、自分が土俵際に近いところにいると感じていました。
悶々とした気持ちの時に、指導教官から「今の日本の中で君が生きていくには医者になるしかない。大阪大学に医学部の学士入学制度がある。一度挑戦してみないか。」と言われました。人から進路などのアドバイスを受けたのは初めての経験でしたが即断しました。これが大阪大学医学部を受験したきっかけですね。
●試験を受けるにあたって、どのような勉強をされたのでしょうか。
当時最難関と言われた、この試験に対しての予備知識など何もない状態でしたので、この試験で入学した人の話を聞こうと、昔、阪大があった中之島まで行き、医学部の前で2-3時間、医学部の学生が出てくるのを待っていました。そして、「すみませんが、学士入学試験の合格者をご存知ないですか?」と聞いて、一人紹介(その方は、京大理学部卒で、後日東大、阪大教授を歴任されました)してもらいました。
後日、大学の向かいにあった喫茶店で待ち合わせをして、阪大の学士入学試験問題の傾向や、参考書などのアドバイスをもらいました。
受験に際して、もう1つ問題がありました。それは受験資格に必要な教養での単位不足(医学部の教養の取得単位数は、私たちが工学部にいたときの単位数よりずっと多い)でした。そこで、阪大の教務課に相談にいき、不足分を通信教育で補うなどのアドバイスをいただいて受験資格を得ることができました。
●受験されてすぐ合格されたのでしょうか。
元々、2回目の合格を想定し1年間猛勉強しました(1回目は準備不足もあり、試験の実態調査のつもりでの受験でしたので不合格は想定通りでした)。合格の自信に満ちていたにもかかわらず不合格の結果を見たときは、さすがに楽観的な私でさえ落ち込みました。ただ泣き言を言える相手もいなかったので、その後も黙々と勉強して結果的に、その1年後(3回目)で合格しました。
この合格は、私にとって人生の大転換の出来事でした。
この合格での私自身の本質的な変化はないですが、周囲の私への対応の変化には大いに戸惑いを感じました。
合格後の生活に関しては、仕送りは一切なかったので、家庭教師と奨学金、さらに授業料免除で何とか生活していました。医師国家試験直前まで、家庭教師をしていたのは私くらいでしょうね。
●産婦人科を選択された理由をお聞かせください。
あまり理由はないですね。大学も1/3くらいしか行っていないし、授業は出ずに試験だけ受けていました。
さすがに留年する事は、無かったですが成績は下から見たほうが早いくらいでした。敢えていうなら、産婦人科は外科もできるし内科的なこともできるからいいかなと。どうしてもこれがしたいというよりは、半分は成り行き任せできた感じといったほうが正確ですね。
●不妊治療の分野は、かなりこだわりをもってされていますよね。
もともと性格的にチャランポランですが、継続できたことに関しては、とことん追求する方ですね。やり始めたら非常に細かいかもしれません。
●PGD(着床前診断)については、どのようにお考えでしょうか。
基本的には全面解禁すべきと考えています。出生前診断を認めて、PGDを禁止している事は、理解できません。現状での問題点としては国内検査体制が無いので、コスト高のアメリカで検査する事ですね。私個人としては、国内で検査が出来るようにして欲しいと思っています。
PGDだと選別はしたかもしれないですが、無駄な中絶は確実に防げます。今だって廃棄胚はたくさんありますし、移植も良好杯を選んで行っています。選別しているという意味では、どれもこれも受精している胚を移植しているわけじゃないですしね。
●この場所に開業された理由は?
以前、西宮の市民病院に勤務していたと言う事が、1番の理由です。
その当時に診察していた患者さんを、そのまま引き続きこの場所で診療を行っているという感じですね。
この場所に移る前は、甲東園の駅の反対側のビルの中で開業をしていました。開業が決まってから、自分で実際に歩いて物件を探していたのですが、半年くらい空き店舗募集の有るマンションを見つけて、直接交渉しに行きました。誰も借り手がいなかったので、開業するまでは家賃を取らないなど色々と融通をきかせてもらいましたね。
そこが手狭になって現在の場所に移転するときには、甲東園から西宮北口くらいのまで範囲を広げて探しました。西宮北口周辺の空き地は殆どまわって、写真を撮って探したのですが、どこも売ろうという人も、貸そうという人もいませんでした。
現クリニックの場所は、ネットで空きの土地情報が出ていたのをみつけました。もう8年くらい経ちますね。
●ご自分で土地を探されたりするドクターは、なかなかいないですよね。
これは経営センスのあるドクターなら絶対できると思いますよ。ほとんどの方が自分を型にはめて、できる範囲がそれだけと決め込んでいるだけで、自分が土地を探しに行ったって何もおかしいことはないですよね。
開業はコンサルに入ってもらわなければという考えは、勝手な思い込みだと思いますし、全然必要ないと感じています。
病院に勤めていれば年度予算があったりするので、機器について多少は予算請求などで介入しているでしょうし、業者との接触もあると思います。それ以上のことなんか必要ないですしね。
コンサルの力を借りずに自分で開業できないというのは、私にとっては不思議です。
どの仕事もそうですが、うまくいく魔法の方法はないですね。眼前の仕事を普通こなすだけです。そして、無駄があれば省いていく、間違っていたらフィードバックかけて正していくと、それの繰り返しです。単純単調の繰り返しをしているだけで、ある意味ではとても平凡だと思います。
●先生には他ではみられないような考え方や行動があり、面白いと思うのですが、不妊治療においてもそうでしょうか?
私の場合、小学校や中学校から有名塾、有名中高から医師の道に進むような太い道を進むことなく、道のない雑草をかき分けて、たまたま一緒の道に入ったというだけです。元来、何かする際も、一人で情報収集して、それで企画立案し、さらに実行してきました。不妊治療に関しても、このスタイルで臨んでいます。
私がやっているのは、マニュアル化(標準化)して誰がやっても均一な結果が出るようなシステムを作ることです。ART施設は工場に近いと考えています。個々の作業を正確にすることは勿論ですが、全体を見渡して管理ができるような体制づくりが必要です。そういった管理をしっかりとする必要があります。
当院では、培養士は現在5人いて、体外受精の総周期数は毎年1000数百、行っています。今でも全体の管理は私がしています。
指示だけでなく、現場にそのまま乗り込んで今でも最前線にいるので、私のようなタイプは巨大クリニックの経営するのは難しいでしょうね。
今まで一人でずっと行ってきたので、恐らく、人に言われて何かやるというパーツにはなれないでしょうね。全体に関わって。
一人で管理できる範囲は知れています。これくらいの規模が限界ですね。
●誰かを雇用したりはしないのですか?
何年か前まではそう思っていました。
2010年くらいからは患者も増えて大変だったのですが、今はその域を超えてきていますね。大変な状態になると合理化をはかって、続けていくということの繰り返しです。
だから開業した当初は、今のこの規模を一人でやれと言われても無理だったと思うけれど、少しずつ小さな負荷がかかり、それを克服していって結果的に現在のようになりました。
もし、雇用するなら特色のある、例えば漢方だけとても詳しいような人がいれば助かるかなとも思いますが、どうしても人を集めて何かしなければいけないというのはないですね。もう一人で十分かな、このまま続けて完結するという形で。
<まとめ>
今回は、不妊治療のみならず、徐先生のご経歴についても詳しくお話をお伺いすることができました。今でもこのように苦学して医師になられる先生もおられるのだなと改めて、感動した次第です。
そして、今でも、院長自ら現場の最前線に出て不妊治療を行っていらっしゃるので、クリニック内に目が行き届いていますし、何よりも患者さんからの信頼も厚いことは十分頷けます。先生が様々な面で創意工夫をされてきたことがよくわかる取材となりました。
診療の合間のお忙しい中、取材を受けていただいた徐先生にこの場を借りて厚く御礼申し上げます。
●関連サイト
徐クリニック ARTセンター
http://www.joclinic.jp/index.html
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