効果だけでなく患者さんの治療における様々な負担軽減を科学する姿勢が印象的~田園都市レディースクリニック 河村院長先生インタビュー

このたびは神奈川県の田園都市レディースクリニックの河村寿宏院長にインタビューをさせて頂きました。

そのきっかけはあざみ野駅徒歩3分のところにグループ3軒目となる新クリニックを新規開業されたことで、なぜ田園都市線沿いにこだわって作られたのかを知りたいと思ったこと。

そして、もう一つは私の親しい人達が全員、河村先生の医師としての手腕や人柄を絶賛されているからです。どんな思いや理念でクリニックを運営されているのかを知りたくなりました。

神奈川を中心に多くの方がここで子供を授かり、幸せを作り出している施設でもあります。その色々な「なぜ?」に真摯に答えて頂きました。
ぜひご覧ください!

ドクターになられたきっかけについて教えてください

小学校一年生の時に急性虫垂炎で緊急手術をしたことがあるのですが、その時の経験が大きかったですね。最初は、腹痛や嘔吐で近所の小児科へ行ったのですが、胃腸炎でしょうということで薬をもらって帰宅しました。

ところが、帰ってからも症状がどんどん悪化していき、これはおかしいということで夜遅くに他のお医者さんのところへ連れて行ってもらいました。

そこで急性虫垂炎という診断がついたのですが、先生が「これは大変だ、一晩越せないかもしれない」ということで夜中ではありましたが、開業されている外科の先生のところへ搬送、緊急手術をしてもらって命を取り止めることができました。

外科に着いた時に先生から「これはお腹を切らないといけないけれど大丈夫?」と聞かれたのですが、「とにかく痛いから早く切ってください」と答えたのを、もう50年以上前の話ですがよく覚えています。相当、辛かったのでしょうね。

術後の傷跡は痛かったのですが、一連の経験から“外科手術は一発で病気を治すことができる”というインパクトや職業的な憧れが生まれたのだと思います。

なぜ、産婦人科を選ばれたのでしょうか

産婦人科以外の診療科は、簡単に言うと病気を治す、元の状態に戻すために治療を行いますが、産婦人科の中でも特に不妊治療は新しい命をつくるという点において他の診療科とは全く違いますし、そこに魅力を感じました。

もちろん、学生の時には色々な診療科をまわりますので産婦人科しか考えていないということではありませんでした。ただ、外科系に行きたい、メスを持ちたいという気持ちは変わらずにありました。小さな頃から絵を描いたり、工作をすることが好きでしたし、手先は器用でしたのでせっかくなら自分の得意なことを活かしたいと考えていました。

先生は東京医科歯科大学医学部を卒業されていらっしゃいますが、その頃の不妊治療はどのような感じだったのでしょうか。

当時、今から30数年前は体外受精が本格的ではなかったので、半分くらいの人しか妊娠することができないという時代でした。また、東京医科歯科大学の産婦人科は、どちらかというと内分泌系が強く不妊治療も積極的に行なっていましたね。

大学病院なので、産婦人科へ入局すると不妊治療だけではなくお産や手術にも携わります。一通りのことは行えるようにはなるのですが、自分の中では不妊治療を専門にやっていきたいという思いが常にありました。

今でこそ、体外受精は技術も向上し広く認知されるようになりましたが、あの当時は全く知られてもいないという時代でした。日本で初めて体外受精を成功させた1983年、私はちょうど大学生でした。これから体外受精の技術が臨床にも入ってくると新聞で報道され、学生なりにすごい時代になると感じていました。

そして、翌年から臨床実習で外来や病棟をまわらせてもらったのですが、その時に長らく不妊で苦しんでいた方が妊娠して感動の涙を流されている場面に立ち会うことがありました。こんなに喜んでもらえて、おめでとうございます、と言える科は他にはないと思い、さらに不妊治療への意欲がわきました。

他の病院にも在籍されていたと思いますが、印象深い出来事はありますか

実は、そこで大きな出会いがありました。

私は、母校の産婦人科へ入局をして半年間は大学病院で研修をし、あとは関連病院に派遣されたのですが、最初に行ったのが獨協医科大学越谷病院でした。そこに在籍しながら週2回、越谷市立病院へアルバイトに通ったのですが、そこに田中温先生(現セントマザー産婦人科医院:福岡)がいらっしゃったのです。

結果的に、私は田中先生から直々に、最先端の不妊治療を教わることができ、ますますのめり込むことになりました。

それから、この分野での私の師匠であり大変お世話になったもう一人の先生がいらっしゃいます。それは加藤レディスクリニックの創設者である、故加藤修先生です。

私は大学病院に数年勤務した後、体外受精をやっている関連病院へ出たのですが、当時は胚培養士、という職種の人間もほとんどおらず、自分たちで培養液を準備したり、採卵後の媒精や、受精・分割の確認を行ったりしていました。

その病院では分娩も多数取り扱っており、加藤レディスクリニックからも不妊治療後の妊婦さんを多数ご紹介いただいておりました。そのご縁で、当時、加藤レディスクリニックの院長だった加藤修先生から、「クリニックに見学に来なさい」とお話を頂き、その後、毎週加藤レディスクリニックに伺って、院長先生から採卵も直々に教わる機会を得ました。

公私に渡って本当にお世話になり、面倒を見ていただき、開業時にも、「縁もゆかりもないところで落下傘開業した河村君のところには患者さんが来ないだろうから」と、雑誌社に取り上げるように声をかけていただいたことも後で知りました。

開業した後も、TESE(精巣内精子回収法)を行う際に、加藤修先生が自ら、最初の開業地である青葉台までわざわざ出向いて下さり、直接OPEをして頂いたこともありました。

また、もう15年以上前になりますが、採卵が増えて培養士が必要だった時に、加藤先生のところに在籍している培養士さんの中から、自宅が当院に近かった人を送って頂いたこともあります。実は、その時の培養士が当院の現在の培養室長になっています。

本当に面倒見が良く懐の広い、偉大な先生でした。30年以上前に、日本の生殖医療の巨頭であるお二人の先生、最初に田中温先生との出会いが私の高度生殖医療の原点であり、次に故加藤修先生との出会いで、先生から最先端でハイレベルの高度生殖医療をご教示頂きその後も面倒を見て頂いたことが、今日の私の生殖医療の土台となっております。

開業当初、青葉台を選んだのはなぜでしょうか

私は大学病院にいた頃から不妊治療に携わりたいと希望していたのですが、当時の大学病院の関連病院で東京医科歯科大学以外に体外受精を含む不妊症をしているところは一箇所しかありませんでした。

なんとか、そこへ行かせてもらったのですが、私が赴任した一年後には、そこで体外受精をされていた先生が開業されることになり、あとを私が引き継ぐこととなりました。その後、別の関連病院へ赴任した際にも不妊治療には携わっていましたが、病院だとどうしてもお産や他の手術も行わなければなりません。不妊治療をメインにすることは、設備面も含めて難しかったのが実情です。

当時私が在籍していた病院は、先生方もみなさん良い方ばかりで居心地が良かったのですが、残念ながら、私なりにこうあるべきだと思う医療を実現するにはやや難しい環境にありました。これから先、自分が不妊症の医者としてやっていく上で、理想としている医療を提供するためには自分の責任のもとでやるしかないと考え、開業に至りました。

そうは言っても、全て一人でできるかというとそうではありません。

不妊治療そのものはできたとしても、妊娠後の妊婦健診や分娩など周囲のバックアップがなければ現実的には難しいものです。また、どんなに気をつけていたとしても、不妊治療の過程で、異所性妊娠等で入院することもありますので、急な場合でも受け入れてもらえるような病院がなければ成り立ちません。受け入れていただくことができる病院からあまり遠くないところで探していました。

当時勤務していた病院の最寄り駅である二子玉川駅付近で考えていましたが、候補地を広げて田園都市沿線で探し始めることにしました。しかし、沿線には大きなビルがなく、あったとしてもカラオケや飲食店が入っていて入居は難しいものばかりでした。

たまたま、金額的には折り合わなかったのですが、青葉台に良い物件があったので駅に降り立ち、周辺環境を知るために歩いてまわっていたところ、テナント募集中の垂れ幕が下がっているのを別のビルを見つけました。

それまで、青葉台には馴染みがなく、少し遠いイメージでしたが、その偶然の出会いからそこで開業することに決めました。

その後、分院も作っていらっしゃいますが、開業当初から考えていらっしゃったことなのでしょうか

もともと、分院を作って広げていこうという考えは全くありませんでした。

青葉台で開業して20年になりますが、その頃は体外受精の件数もいまの10分の1でしたし、ドクターが複数になることも想定していませんでした。

ところが、思いのほか患者さんが増え、ワンフロアでは足りなくなってきたところに下のフロア、そしてさらにその下のフロアが空いたので3フロアに広げることができましたが、それでも限界がきていました。

ただ、同じビルの他のテナントさんにフロアを空けて欲しいとも言えないので、次第に移転を考えるようになりました。せっかくなら、馴染みのある青葉台でと思い、探していましたが、全く物件がありません。

色々と思案していたのですが、当時、自宅が二子玉川にありましたし、そちらの方面から来られる患者さんも多くいらっしゃったので、二子玉川付近で受け皿があると良いのではと考え、分離することにしました。

患者さんの利便性を重視した形になりましたが、結果的にとても良かったと思っています。

ただ、患者さんがあふれてどうにもならない点は分散されることで、カバーできましたが、二子玉川分院もやはり手狭でした。

相変わらず、青葉台近辺を探していたところ、あざみ野で良い話がありましたので、より広いあざみ野に本院機能を移し、拡張移転することにしました。

事務的な部分はどのように対応されているのでしょうか

どちらかと言うと、私はひたすら臨床に専念し、スタッフをまとめてくれているのは事務長である家内です。

スタッフの悩みやマネジメントは家内が一手に引き受けてくれているので、私はひたすら臨床に邁進することができています。

 

スタッフ教育やチームビルディングについて、意識的に勉強する時間を設けているのでしょうか

みんなが当院の方針をしっかりと頭に入れ、同じ方向性を向いて進んでいこうと思っているので、スタッフ全員を集めての勉強会もしますし、部署ごとの勉強会もあります。幹部だけを集めての幹部会の開催やリーダーミーティング、各種委員会も盛んです。

これらを通じて一番大切なことは、あくまで患者さんに妊娠してもらうことです。その使命を確実にするため、これらを適宜行いながら診療に取り組んでいます。

とは言っても、会議だらけだと本業が疎かになってしまいますので、都度、新しい治療や現在のシステムの改善点などの情報を最短でまとめて各部署に配信していくことは徹底的に行っています。

開院して20年目になりますが、ここまでクリニックが成長することが出来たのも、患者さんのことを本当に第一に考えてくれる素晴らしいスタッフに恵まれたからです。おかげで、2万5千名を超える患者さんのご妊娠のお手伝いが出来ました。

10年以上前はまだスタッフ数も今の約3分の1でしたが、勤続10年以上のスタッフが30名にもなりました。どんな組織もそうだと思いますが、一番大切なのは「人」です。当院のスタッフは私にとって最も大切な宝物です。

周囲地域の先生との関係性で、気をつけていらっしゃることはありますか

自分一人だけで、不妊治療を全て行うことはできません。周りの先生がたのバックアップあって初めてクリニックが成り立つので、いつも感謝の気持ちしかありません。

周囲の先生からも不妊症の患者さんを相当数、ご紹介いただいているので、その期待に応えられるようにスタッフ一同頑張っています。卒業大学のような直接的なつながりはありませんが、そういったことは関係なしに周辺の大学病院、総合病院の先生方がバックアップしてくださることが本当にありがたいですね。

先生が診療において、大事にされていることがあれば教えてください

不妊治療はとてもストレスがかかりますが、そういった気持ちが緩和されるような室内空間やスタッフの対応が必須だと考えています。

また、治療についてもできるだけ早くご妊娠していただけるよう努力をしておりますが、肉体的、精神的、経済的負担を極力少なくし、その中でも高い妊娠率を出せるような診療を心がけています。

待ち時間についてもご指摘を受けることがありますので、会計を自動化するなど待ち時間の軽減につなげられるよう配慮しています。

今後のビジョンについて教えてください

日本の体外受精の治療周期件数は、20数年に渡って右肩上がりが続いてきました。しかし、2017年から採卵件数は減少に入っていることが発表されました。これは当然ながら、生殖年齢人口の減少や、それに伴って治療を受ける人の減少が影響しています。また、不妊治療の助成金に関して、年齢制限が出されたこともおそらく影響があるだろうと考えています。

この結果は、日本の人口構成から見ても変わることはありませんし、今後も患者さんは減り続けていくことでしょう。私たちとしては、患者さんの全体数が減っていったとしても、一人一人に丁寧に対応し、高い水準の医療を提供するためにスタッフ一同最善を尽くしていきたいと思っています。

まとめ

日本の不妊治療の歴史を語る時に2名の先駆者である先生の名前が必ず出てきます。

それがセントマザー産婦人科の田中温院長先生と加藤レディスクリニックの創始者の故加藤修院長先生です。このお二人に早期に薫陶を受け、不妊治療に取り組んでいるドクターは日本に私の記憶では河村先生しかおられないと思います。

以前、私も田中先生、加藤先生へのインタビューや対談を行いましたが、とてもエネルギッシュで個性の強い先生達で、この先生方に可愛がられるというのはまさに不妊治療を行うために生まれてきたような先生だなと思いました。

また、一つ一つ着実に結果を出していくという覚悟のようなものをお話の中で感じました。多くの患者さんがこのクリニックを信頼して来られるのも、そういうことを感じ取られているのではないかと思った次第です。

最後にご多忙の中、インタビューのお時間を頂戴したこと、この場をお借りして厚く御礼申し上げます。

<関連サイト>

田園都市レディースクリニック
https://www.denentoshi-lady.com

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